プロフィール
1997年宮崎県生まれの宮﨑紗矢香。育ちは神奈川県横浜市。
小学生の頃、狂ったように漢字ドリルに熱中し、担任であった先生の過去の教子たちの記録を塗り替え伝説を残した。
暗記が得意で、小学6年生にして日本国憲法の前文を暗記していたこともある(本当は、当時気になっていた同じクラスの男子も暗記していたから)。
中学生の頃は、女子バスケ部に所属し朝練・昼練・夜練と練習に明け暮れるが、競争主義的なスポーツの世界に嫌気がさす。その後、受験先の高校を決める際に、学校説明会で訪れた大船の高校で、「お七」の舞台稽古をしていた演劇部に一目惚れし、高校では演劇の世界に飛び込む。1年生の頃に演じた、聖歌隊役と宝塚の男優役が顧問の目に留まり、演出家を任される。山下智久ファンに由来する「ぴぃ助」というあだ名も、演劇部時代からのもの。
大学は、校舎が大好きなハリーポッターの世界観に似ているという理由だけで立教大学に入学することを決める。
期待に胸を膨らませて入ったものの、真面目に講義を受けようという意思のある学生の少なさに驚愕。ならば、自分は意地でも真面目に聴いてやると誓い、成績一位を目指す。課外活動にも意欲的に取り組み、子ども食堂でのボランティア、マレーシアへ短期語学留学、オーストラリアへ海外インターンシップも経験する。ただどこか物足りなさを感じ、大学3年の春、単身スウェーデン視察ツアーへ参加。
本場のSDGsに触れ、就活では日本のSDGs推進企業を受けるも、矛盾だらけの企業に度々遭遇。
そんなとき、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンべリを知る。「あなたたちは誰よりも自分の子供が大切だと言いながら、子供たちの目の前で彼らの未来を奪おうとしている」というスピーチが、理不尽な評価を下す面接官に抱いた感情とシンクロし、就活を放棄してFridays For Future Tokyoの活動に邁進する。大川社長は就活中、私の思いに共感してくれた唯一の大人である。
家族からは「ジャンヌダルク」みたいだと言われている。小学3年生からアンネフランクに憧れて、毎日日記を書き続けている(2020年現在で15冊目)。