「多様性 メディアが変えたものメディアを変えたもの」を読んでいて障がい者の方の取り上げ方も変わってきたなぁと感じながら、ふと障がい者とBLUESについて触れてみたいと思いました。ギタリストが半身不随になりギターを弾けなくなった姿は確か大学時代、テレビでLynyrd SkynyrdのAllen Collinsのその姿を見て、憧れのギタリストだったためもあり、涙したものでした。1986年の交通事故でくるまいすとなりステージで演奏することは無くなったそうです。長身で長髪、そしてGibson FireBirdを持ったその姿はめちゃくちゃかっこよかっただけに、立ち上がれなくなった彼を見て悲しくなりました。飛行機事故で生き残ったのに更に交通事故で歩けなくなるとは辛かったことと思います。
さて本題に戻りましょう。BLUESの世界は日本の琵琶法師や按摩師のように、目が不自由だからこそ聴く力などその他の感覚が発揮された例があるように「Blind〜」という名前の盲目のアーティストがたくさんいます。戦前から盲目のブルーズマンは数多くいたのです。
今日取り上げるサン・シールズは先天的な障がいではなく、1999年、糖尿病の合併症により左足の一部を切断しました。ちょうどその頃シカゴのキングストン・マインズで彼のライブがありましたが、ここは同時に2ステージやるのがウリで、その良く言えばストレート、悪く言えば一本調子のギターが苦手で、もう一つのステージ、Sons Of Blues のCarl Weathersbyのステージを私は見てしまいました。
その後も不運は続き演奏活動中に自宅が火災に見舞われ、家財道具を失ったり、さらにギター数本が盗まれたりしたそうです。正に踏んだり蹴ったりでこれ以上の不運はないと思ってしまいそうです。
経営者は如何なる逆境においても諦めない、乗り越える気持ちや力が求められますが、自分も頑張らなければと言ったパワーをブルーズマンからもらえます。足を切断した後の2000年にリリースされたのが「Lettin’ Go」です。片足を失った状態で撮影されたジャケット写真が痛々しいですが、内容はとても元気なものとなっています。

ここでも再演している「Funky Bitch」はバンド「フィッシュ」がシールズを何度かステージに呼び、1999年、シールズはキャンプ・オスウィーゴで公演を行いました。これはフィッシュが複数日開催したサマー・フェスティバルの中で、唯一彼ら以外のアーティストが出演したフェスティバルだったそうで、シールズのことがお気に入りだったことが伺えます。
今回調べていて少年時代ロバート・ナイトホークのバンドでドラムを叩いていたり、ブルーズハープの名手リトル・ウォルターと義理の兄弟でバンドを一緒にやっていたこともわかりました。
個人的にはこちらの演奏がおすすめです。今ではこのストレートなギター演奏も気持ちがいいです。シカゴのクラブでの演奏を想像させてくれます。
シールズは残念ながら2004年、糖尿病の合併症により62歳で亡くなりました。
おわり

