以前も取り上げましたが磯子史話

自分の知らない故郷の歴史を紐解く興味深いもので、最近ハマっています。
根岸湾埋め立て計画
すでに戦前に建てられた埋め立てプランが表面化したのは昭和30年代に入ってからだそうです。
美しい海岸、海苔の養殖、そして転業
今も本牧あたりの崖を見ると、このあたりがかつて海だったのだろうと想像することができます。「屏風浦」の駅の名前にも残るようにかつて磯子のあたりは屏風のごとく美しい景観があったと言います。
昭和34年から昭和46年まで
第一期埋め立てから最終の埋め立てまで12年の歳月と248億円の費用がかかった、とありました。
漁師は様々な職に転業
本には漁業補償から10年後の昭和44年の漁業から転業の記録が記載されていました。一番多いのが貸家・アパート経営、次いで会社員、地方公務員だったそうです。
メリットとその代償
戦後から昭和30年代に入ると埋め立て計画は観光立地的な面から変わり、工業的な考えと変わっていったと言います。
埋め立てにより今も大きな企業が操業、交通の便もとても良くなり、昭和39年の根岸線(桜木町〜磯子駅間)の開通、近年は首都高速道が延長されるなどの一方で、市電はなくなり海は遠くなりかつてあったという景色はもう2度と戻せないものとなりました。何が本当に良かったか?正しい選択は難しいですが、埋め立ての記念碑が工事中の森町公園の中にポツリとありました。

そして埋め立てだ後には子供の頃遊んだプールがありました。

おわり

