「馬事文化財団さんと100年前のお取り引きに思いを馳せる」

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11月18日、100年近く前にお取引があったと伝えられる、日本レース倶楽部(現在は公益財団法人馬事文化財団さん)へオークションで入手した、当時大川印刷が印刷したかもしれない馬券を持って、過去のお取引に対して感謝に伺ってきました。 参考↓

現在の印刷物ご担当者に加え、学芸員の方ともお話しさせていただきました。

キッカケは入社当初大先輩の話から

根岸にあった競馬場「日本レース倶楽部」さんとのお取引について知ったきっかけは、何年も前に会社の大先輩(2代目重吉社長より社長に仕えた相談役)から聴き、大川印刷の100年史「虹の記録(父が虹が好きだったことから名づけられた)」を見せてもらったことからでした。

 「虹の記録」の一部

そこには明治大正期からの取引先として以下のように触れています。

日露戦役後設立された大会社満鉄の大連病院からも一時多量の注文があった。台湾総督府専売局から樟脳油のラベルや文献の注文があった事もある。元来当社は、役所の入札仕事には、殆んど参加しなかったが、特に選ばれて東京帝大附属の伝染病研究所、略して「伝研」には、毎回ヂフテリヤ血清等のラベルをよく納入していた。

また横須賀海軍より各艦医務室の薬局で使う薬名札の注文も受けている。これは薬品のラベルは大川製に限るというわけで受けた指名注文で、大きな名誉でもあった。

中略

東京及び各地方は大体薬業家であったが、地元横浜の得意先はすこぶる多種多様であった。

明治、大正時代には銀行のお得意が随分あったもので其の筆頭は横浜正金銀行本店で、

中略

銀行以外は日本郵船支店、東洋汽船、栗林商店(栗林商会?)、原合名、増田屋、安部幸、日本綿花、生糸検査所、横浜ドック、同倉庫部、大谷、木村、矢島、小野等各商店、越前屋、松屋、野沢屋の各デパート、後藤編店等、其の他種苗の坂田商会、日本レースクラブ(根岸競馬場)、程ヶ谷カントリークラブ、崎陽軒、日本金属、弥冨商会、帝国社(今日の帝国臓器の前身)、ベーラムの丸善薬店、丸善書店、米国のフォード自動車、世界的のクック旅行社、鶴見の花月園、東神奈川の横浜製鋼、横浜鉄道、東海鉛管、薄荷の宮崎商店等、市外では鎌倉の海浜ホテル、横須賀の栗田薬局、箱根の三河屋、松坂屋、紀伊国屋、静岡県清水港の鈴木与平商店等々。

実際に印刷したのか?

当時の状況を考えると考えられるのでは?とお話しいただいたもののその証拠や記録は未だ見つかっていないので、実際に馬券類を印刷したのかはわかりませんでした。

100年前のお取り引きに思いを馳せました。不思議でしあわせな気持ちです。

おわり

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