エミー賞最多受賞『SHOGUN将軍』、真田広之さんのインタビューで気になった言葉があった。それは「オーセンティック」という言葉だ。本物志向、
正統的な、忠実なという意味だそうだ。スピーチの細かな内容は細かな内容やスピーチで意図したことなどはニュース記事をご覧いただきたい。
《真田広之がこだわった”オーセンティック”》エミー賞最多受賞『SHOGUN将軍』が修正する「フジヤマ・ゲイシャ」的な思い込み 心理士が指摘する「真実性の錯覚」
9月19日の埼玉県印刷工業組合のワークショップを弊社の社会課題解決型スタジオ「with GREEN PRINTING」で行った。
そこで紙に携わる私たち印刷業界にとって逆風的なものに「ペーパーレス」が挙げられ、参加者のお一人から以下のような疑問が投げかけられた。
「『ビフィズス菌は腸に良い』と言えるのに『紙は〇〇にいい』の〇〇が誰も言えないし、考えようともしていないのでは?」
これには私も耳が痛い思いがした。長年業界に身を置き紙に向き合ってきた者として「何をやってきたのか?」と突き付けられた思いがした。
話は変わるが先日「ヒューマン・フロンティア・フォーラム」というクリロン化成さんが主催する合宿勉強会に出席した際、こどもみらい探究社の
小笠原舞さんの話を聴いた。
こどもの視点を大人の世界に取り入れることによって新たな答えが見えてくることを企業に対して教えている点が極めてユニークだった。
床に落ちている紙くずを大人は「ごみ」と見る人が多いが、こどもは触ったりくちゃくちゃにして音や形を楽しんだり無限の遊びの対象として見てい
たりする、と。
話を戻そう。時に「紙は不要」「紙はごみ」「紙は環境に悪」などと言われることも多い。本当なのか?前述のyahooニュースの記事で、
「彼(真田広之)が闘ってきたのは、外国人が持つ日本に対する『フジヤマ・ゲイシャ』的な思い込み。フェイクや虚偽と違って悪意がないだけに、
他人の思い込みを変えるのは難しい」とあったが、紙に対する思い込みもなんだか似ていないか?
今年2月福井県に行った時、人間国宝の和紙職人、九代目岩野市兵衛氏に話を伺った。過去の顧客にはピカソまでいる驚きの職人の方の作る紙は
200~300回の版画の刷りに堪えるし、何年たっても虫に喰われない。本物の職人が作る本物の和紙は3か月先までオーダーが入っていた。
そこで先ほどのワークショップ参加者の問いに対する答えが見えてきた。
「紙はオーセンティック」
紙はどんなに形を変えようとしても紙は紙だ。本質は変わらない。
時に、こどもたちのおもちゃになったかと思うと、時にはアートにもなる。暮らしを彩る障子やランプにもなる。
目的や意義が変わろうともそれは常にオーセンティック。本物は変わらない。
紙ごみを見た大人は「ごみ」と認識しても、発想と感性が豊かなこどもやアーティストには魅力的な楽しいものに思えたり、生活を豊かにするものとして工夫されたりして使われ、そして再生もされ
る。時には人に自然を思い出させ、植林を促し、また紙がつくられる。
「紙はオーセンティック」「紙は人のオーセンティック(本物志向)にいい」
どうだろうか?