「オンラインミーティング」の良し悪し
先の見えないコロナ禍、皆さんお周りでもオンラインミーティングや交流イベントが増えているとお感じのことだろう。
このオンラインのミーティング、個人的には良いことが多いと感じているが気になることもある。
先日、100人のオンラインミーティングに出席した。最近そのような会は少なくない。
共通の関心と課題感を持った人たちの集まりであったが、およそ100人の内、顔を出している人は半分程度の50人。
色々事情はあるのであろうが半分は聴いているだけのようでもある。
この「顔を出さない」というのもいかがなものだろう。
便利と言えば便利だ。
例えばテレワーク中に子供が「お父さんまだ仕事終わらないの?」と入って来た時などは、参加者の邪魔をせず子供と話すこともできるし、髭を剃るのをさぼっても顔を映さなければOKだ。
お笑い芸人のネタにもなっていたが、上半身はシャツにジャケット、下半身はジャージ、と言ったスタイルも可能と言えば可能。
また車で移動中に会議に参加できる(話だけ聴いている)ことも、過去にはなかったこと。
確かに便利だが、これだけ多くの人が顔を出さないのは、皆が皆そういった何らかの事情があるからなのだろうか?
意見を言わない4つのケース
参加者の中で意見を言う人は1割程度、5人位だった。
顔を出しているだけ良いのだと思うが、意見を言わない人がほとんど。
でもこの「意見を言わない」のにもいろいろなケースがある。
1.本当に意見がない
2.意見はあるけれど遠慮している
3.「話す人」が多くを話すから話さない
4.その他
経営者をやって何年も経つが、よく失敗するのが3の「話す人が多くを話すから話さない」だ。
自分が話せば話すほど、相手は話してくれなくなる。
経営者もリーダーもありがちだが、伝えたいあまりにどうしても多くの話をしてしまいがちなのだ。
だから、これを防ぐために相手に話してもらう仕組みを会社では作った。
週に1度、そして月に一度、合計でつきに5回ほど従業員さんに話してもらう取り組みを続けている。
これに加え、これは従業員さんの提案だが、私が話し過ぎている時、チャットを入れてもらうようにしている。
ちなみにこれは私の提案ではなくその従業員さんの提案だ。
「従業員が社長にそんな提案を?」と思われる方もいるかもしれないが、私はありがたいと思っている。
逆にその方が健全だ。従業員さんが私を「裸の王様」にしないための「愛」を感じる。
話を戻そう。
新しい「意見を言わない」ケース
4つ目があることに最近気が付いた。それは「その人と一緒にいられればそれで満足」と言ったらよいだろうか。その会の中心的な人物へのリスペクトがあるのはいいのだけれど、一緒にいられる、その人の話が聴けると言ったことに満足して話さない、といったことがどうもあるようだ。
そのような会ではチャットでリスペクトされた人物への賛辞が流れていく。相手の発言をよく聴くのは大切なのだが、その相手の話に対して自己はどのように感じているのか?異なる見方はないのか?といった思考プロセスが必要に思うのだが、気づくとチャットには「うんうん」「その通り」「名言!」といったメッセージが流れていき、頭の回転の悪い私はチャットの意見を見て、考えられなくなっていく。
組織を作っていく、プロジェクトを進めていく上では、このような状況は冷静にならないといけない。
会社でも過去こんなことがあった。
会社でもプライベートでも充実している人気のある社員さんに対し、賛辞も人も集まったが、その一方で部門間の仲は悪くなり、会社全体の一体感が失われていった。
本当にチームを率いてきた方々は、そのような周囲の賛辞に酔いしれることなどなく、組織全体のことを考えておられるだろうから、気を付けなければならないのは私のような参加側、加わる側なのかも知れない。
考えているつもりになっていて、実は相手の意見をそのまま鵜呑みにしてうなづいているだけといったことを引き起こすこともあるだろう。自己意識としては思考しているつもりが「思考停止」と変わらない状態になっていることがある。
「思考停止」起こさないために、相手の話をよく聴きつつ、自分はどのように考えるか?を忘れずに。
そして「自分がその組織にどのような貢献ができるのか?」を問いかけながら進んでいく必要があると思う。
おわり