私のテレワーク初日がスタートした7日、政府は(ようやく?)緊急事態宣言を発表しました。この言葉の響きから、私は個人的に重ね合わせてしまうものがあります。それは、「気候非常事態宣言」(注)です。
スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが始めた学校ストライキのムーブメント、Fridays For Future(未来のための金曜日)について、ご存じでしょうか。私は先日まで、Fridays For Future Tokyo(FFFT)の一員として、気候変動に対し積極的に発言してきました。
FFFTは、主に数か月に一回、大規模な気候マーチの運営などの活動を行ってきましたが、私は先述の「気候非常事態宣言」を東京都に求めるアクションを先導してきました。「2050年CO2排出量実質ゼロ」目標を掲げる東京都が気候非常事態を宣言することで、政策面で気候変動対策の動きが加速され、国内外へ与えるインパクトも大きいと考え、その旨を請願書に記し、都議会に提出しました。けれどこれは正直、建て前に過ぎませんでした。私は、東京都という大都市に向けて、同時に日本社会に向けて「パラダイムシフト」とは何か、ということを身の程知らずにも問おうとしていました。
「気候変動の影響の甚大さと対策の緊急性が改めて浮き彫りになった今、世界は、かつてない変革が求められる『パラダイムシフト』を迎えています。都民の生命と財産を守り、世界の脱炭素化に貢献するため、私たちは新たな一歩を踏み出さなければなりません」。東京都の「ゼロエミッション東京の実現に向けて」という宣言文には、上記のような文章が並んでいましたが、どれだけ内実を伴ったものなのか、私には疑問でした。請願書の審議直前に、議員の方と面会をしたとき、私は次のように発言しました。
「あえて言及しますが、オリンピックの開催や石炭火力推進をめぐっては、最も発言する権利のある人々の声が明らかにかき消されています。全てはつながっていて、いつでも権力構造は同じです。だからこそ私は、気候非常事態宣言をした後の具体的な対策として、再生可能エネルギーや脱炭素という『具体的』な言葉を安易にあげるつもりはありません。私にとって、気候非常事態宣言とは、今の社会の在り方自体を問うものだからです。とても根本的な、生き方そのものを問うような、原点に立ち返るものでなければならないはずです。けれど、そんな根本的なことが当たり前に見過ごされている現実が多すぎます」。
こうした切実な思いも虚しく、審議を経た結果、私たちの請願は「継続審議」となり、事実上の棚上げ状態となりました。
あれから5か月後。気候危機程度では、びくともしなかった権力者たちは今、新型コロナウイルスというのっぴきならない脅威を前に、文字通り慌てふためいています。東京都では、「想定外」の事態としてオリンピックの開催が延期となりました。国は、気候非常事態宣言とは似ても似つかぬ、緊急事態宣言を発表し、国民への外出自粛や事業者に対する休業要請を求め始めました。至る所で人の移動が制限され、経済活動への影響も日増しに甚大化していますが、一方で、皮肉にも二酸化炭素の排出量は減少しているようです。
予期せぬ形で現れた事態に私自身うろたえてはいますが、数か月前に問いかけた「パラダイムシフト」が、ようやく実態を伴った形で日本社会に、それどころか世界全体に、否応なく伝播していく兆しが見えてきたように思えます。
ところで、緊急事態宣言が発表された7日。同日に、環境から地域創造を考える総合雑誌『BIOCITY』が発売されましたが、気候非常事態宣言の特集号ということで、FFFTとして展開してきたアクションや、その背景にあった想いを綴らせていただきました。詳細はこちらから。この記事の中でも、最後に綴った自分の文章に、今、自分で目を覚まさせられる思いがしています(執筆時期は今年1月)。
「『希望を感じられないことが、何も行動しないことの理由にはならない』。未来への分岐点となる2020年が幕を開けた。この瞬間を、この1日を、この1年を、そして、これからの10年をどう生きるか。グレタだけでなく、私たち一人ひとりが例外なく、問われている」。
コロナ危機で、桜が満開でも外に出ることが許されない、ましてや気候危機で、これから桜が季節通りに花開くのかも定かではない、前途多難?でイレギュラーな私の春は始まったばかりです。
*宮﨑、今週末4月19日(日)13:30~16:00で「~新型コロナウイルスと気候変動を超えて~地球再生宣言Vol.1」というオンラインイベントに出演します!YouTubeでのオンラインLive配信も行われるので、ぜひご視聴ください。
(注)気候非常事態宣言とは、気候変動を最大の脅威と捉え、政策的に取り組むべき最優先の事項であると議会等が宣言することを指す。